カテゴリ
以前の記事
2011年 02月 2010年 12月 2010年 02月 2009年 11月 2009年 09月 2008年 11月 2008年 07月 2008年 05月 2008年 03月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 01月 2006年 11月 2006年 10月 フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
#
by fumio826
| 2011-02-20 06:40
| 私事日記
先日、ある素敵なパーティにて私どもの剱舞を御披露させて頂くという嬉しい機会を頂戴いたしました。
その機会は、『六本木にこれほど「和」の閑静な場所があったとは…』と驚いてしまう隠れ家的レストランにて開催された、ある高名な漫画家の先生の一つの節目をお祝いするパーティにおいて頂戴いたしました。 私どもが上演させて頂いたパフォーマンスは、そのパーティの主役であられる先生の代表的な連載で、10数年にわたって連載されたひとつの大作をモチーフにさせて頂き、その作品から受けた僕たちの感動を剱舞作品にアレンジするという、大変畏れ多い、大変光栄な、そしてまた大変に緊張する企画でした。 レストランの中庭に本火の篝火をふたつ焚きつつ、約20分間ほど上演させて頂いたのですが、都会の喧噪がさほど遠くない場所から聞こえて来る中で、その中庭だけは宗家のヤマト歌と、剱舞の懸け声、そして燃えさかる薪のパチパチという異質な音たちに満たされて、不思議な違和感の空間になっていたように思います。 上演後には先生から温かい御言葉を頂戴することが出来て、何ともホッとさせていただきました。 夜空と篝火と冬の風。 都会の片隅でも自然を感じながら舞わせて頂くことが出来た今回の経験は大変素晴らしいものでした。 余談ではありますが、以前から先生のファンであった石綱くんと大澤くんはずっと浮かれていました。朱美さんは和服の衣装でありながら、松竹衣装の石澤さんのコーディネイトによって大変セクシーになってしまいました。相澤さんは棒術の振付と格闘しながらも楽しそうでした。 この経験を僕ら桜月流に運んで来てくださった宗家の20年来の友人Sさんに深く感謝しています。 パーティの締めくくりに語られた先生の一言も感動的でした。 そしてまた、このパーティを先生にプレゼントされたSさんの目にうっすらと光るものにも我々は大変感動させられました。 なんとも夢のような夜でした。 #
by fumio826
| 2010-12-15 06:32
| 桜月流日記
最近の自動販売機(「自販機」となかなか言えない)の傍らにはほとんど必ず置いてあるペットボトルやスチール缶のリサイクルのためのゴミ箱。以前、リサイクル運動が盛んでなかった頃は置いてないところも珍しくなかった。
とても便利だと思う。その場で簡単に捨てることが出来るし、ちょっと気が引けなくもないが、ペットボトルの中を洗ったり、ラベルをはがさないで捨てることが出来てしまう。 以前、喜国雅彦さんの4コマ漫画で、1コマ目でゴミ箱が置いてある「良い」自販機で飲み物を買い、4コマ目でゴミ箱が置いてない「悪い」自販機の上に置き捨てる…といったネタがあり、思わず笑ってしまった経験がある。 そんな便利でありがたいゴミ箱なのだけど、最近良く見かけるのはペットボトルや缶など以外の様々なゴミが置き捨てられている光景だったりする。 『こんなに色んなゴミ、ここに置き捨てて行ったら回収の人が困るだろー』 一応、自分ではエコ人間だと思っているので、マナーを無視してリサイクルを妨げる無作法には怒りを感じる。 もともとペットボトル回収のためのゴミ箱に全然関係ないゴミを置き去りにする、という思いやりのない思考にも腹が立つ。 『ここに置き去りにしとけば誰かが片付けるだろう』…と思って悪びれずに捨てて行くのだろうが、ひどく思いやりのないことだと思う。そりゃたしかに誰かが片付けなくてはならないから、誰かが片付けるだろうけど、自分で出したゴミを自分で後片付けする責任を放棄して、見ず知らずの誰かに押し付けていくことの出来る無神経さはどこから出てくるんだろう。 昔、先生に教わった、『始末』。 始まりがあって、終わりがあって、始・末。 何かを便利に使ったり、飲み食いした「始」。 その結果、使い終わって不要になったモノたち「末」。 自分が何かの恩恵にあずかって生じた結果がゴミなのだから、その恩恵に感謝して、きちんと片付けて次の段階に送り届けてやろうではないか。きちんと見送ってやろうじゃないか。 ただゴミを正しく捨てるだけだから「この星の円環」というほど大げさなことではないにしても、受け取ったバトンは、しっかりと次にバトンタッチしようではないか。ほんのちょっとした思いやりで、そのバトンタッチがスムースに行くかも知れないじゃないか。 人間が作りだした様々なモノ。特に腐らないモノたちは困る。地球の円環に戻らないから、土に還らない。 そういったモノたちは特に丁寧にバトンタッチしなければ。 あと、あれはまた腹が立つ。 強い風をともなう雨が降った日に、道路にさんざん散らかされたビニール傘の残骸たち…。 自分でさしてた傘だろー。 傘の骨がひっくり返って壊れたからって、道に置き去りに捨てていく道理はないでしょー。 壊れた傘は、自分で持ってかえって燃えないゴミの日に捨てるのが当たり前だろー。 ああ…今日もまたしても「立腹帳」だ。 #
by fumio826
| 2010-02-07 04:53
今朝、ニュースを見ていていきどおった事があります。
先日、長い逃走の末に逮捕された一人の犯罪者のことをネット上で讃える人達がいるということです。 その人達の中には取り調べを妨害しようと工作を試みる人や、ファンクラブを作ろうとする人達がいるということでした。 その事件で被害に遭われた方の御遺族の気持ちをほんの少し考える想像力さえもない人達なのだと思います。 その被害者の方は、しかも外国の方です。 もし、自分の娘が異国の地で理不尽にも命を奪われ、その異国で犯人のファンクラブが作られようとしていることを聞かされたなら、その親御さんはどれほど辛いだろうか。どれほどその国に裏切られたような気がするだろうか。どれだけその国のことが嫌いになるだろう。そんな、人間として常識以下の思んばかり、察し、心配りさえもこの国では失くしつつあるのか。そう思うと情けなくて涙が出る。 『逝きし世の面影』(渡辺京二著・葦書房刊)に綴られている、明治時代の日本を旅した英国女性のエピソードは、まさに『逝きし世=古えの日本』なのであろうか。 「私は親切な人びとが(日本中の)どこにでもいることについて語りたい。…(中略)…二人の馬子は特にそうだった。彼らは私を助けようと、出来ることは全部してくれた。馬から降りるとき優しく支えてくれたり、赤い苺を手に一杯摘んで来てくれたりした。…(中略)…私が雨に濡れたり、おどろかされたりすることがないように気遣い、全ての品物が旅の終わりまでちゃんとしているかどうか、慎重に目を配る。…(中略)…馬子だけではない。人力車夫たちが私に対してもおたがいに対しても、親切で礼儀正しいのは、私にとって不断の喜びの泉だった。彼らの疲れを知らぬ善良な性質と、ごまかしのない正直さと、親切で愉快な振る舞いによって、私たちの旅の慰めとなったのである。伊勢旅行を終えて彼らと大津で別れる時が来た。彼らの頭である、この忠実な男と別れねばならぬのがどんなに残念か、彼のいそいそとした奉仕、おそろしく醜い顔、毛布を巻きつけた恰好がもう見れなくてどんなに寂しいか、言いあらわせないほどだ。いや、違う.彼は醜くはない。礼儀と親切に輝く顔が醜いということはありえない。…私は彼の顔を見たいし、またイエスが幼な児について、『天国にあるはかくのごとし』と語られたように、ある日、彼について語られることがあるようにと希むものだ。」 「逝きし世の面影」をもう一度、この日本に取り戻す事は出来ないのだろうか。 #
by fumio826
| 2009-11-18 19:12
| 私事日記
先日、東京国立博物館・法隆寺宝物館前の特設ステージにて剱舞を御披露させていただく機会に恵まれました。
とても大きな企業の新製品発表会における、ひとつのシーンとして踊らせて頂いたのですが、その新製品は日本刀をモチーフにしたもので、その特徴のひとつという『スプリング・ドライブ』なる静寂さと緊張感を併せ持った動きは僕が憧れてやまない類いの不動感があり、剱舞の中にこんな動きを取り入れたいと切に思わせるものでした。 そして、時計の針は夜の8時をとうに回った頃、かがり火のような灯りに囲まれた池の上に設営されたステージで踊らせて頂いたのですが、黒いステージは水面との境界が夜の闇に溶け込んでいて、まるで水の上で踊っているような感じでした。 しかも、水の上にパフォーマーと剱を浮かび上がらせるような幻想的な照明が僕たちの足元を定かに照らし出すはずもなく、上演中に誰かが水の中に落ちるのではないかとややハラハラしました。 (僕は子供の頃からの不勉強が幸いしていまだに視力がよく、暗めのステージでもさほど足場は気にならなかったのですが、相澤美千子はかなり緊張していました。きっと子供の頃に良く勉強したのでしょう) 宗家のヤマト歌が国立博物館周辺の樹々に響き、僕たちは剱の交錯と共に発する懸け声で喉を嗄らしつつ、桜月流のパフォーマンスは無事終了いたしました。 パフォーマンス終了後の皆さんの温かい拍手には大変感激いたしました。 劇場空間とはまた違い、屋外でのパフォーマンスは自然の大きさが感じられてとても好きです。 桜月流の演目は自然のもとで行われることに適している気がします。 主催の企業の皆様、スタッフの皆様、大変素敵な時間をご一緒させていただけまして、本当にありがとうございました。 #
by fumio826
| 2009-09-23 00:11
| 桜月流日記
|
ファン申請 |
||